2007/05/31
2007/05/29
2007/05/28
終電後、先日と同じ居酒屋にて。
【抵抗】
ヴェーユ、ルクセンブルグ、他、「労働」を介して社会体制並びに経済論理を見つめ、捉え直してみれば所謂「抵抗」に過ぎなかった事実が否応無く浮かび上がる。
僅(わず)かながらの希望、
それに斯(か)かる代償。
死を持って証明したのは、結局挙げつらう事で生命維持を測る不特定多数の無機能な身体(所謂マジョリティ)の行方でしかなったのではないか。
決起しきれぬ裡(うち)に断絶された無念の果ては、現段に於いて“僅かながらの抵抗”でしかなかった事実を晒すに留まってしまうのではないか。
結果として
マジョは無条件に右に傾むく
そういった事実に相違無く呼応してまうべきなのか。
そこに思考の導(しるべ)や視座は介入の余地がないのではないか。
また、これが無条件の裡の“条件”であり、無思考の絶対的証明の一つに当てはまるのではないか。
その傾きに嫌悪感を甚(いだ)くか、巻かれるか。
残された身体の肝は何処に据(す)えるべきか、また据えたる思考の域から脱せらるるか。
革命意思に染むる手は、血に染まり、やがて忘却に沈む。
2007/05/27
2007/05/26
音、そして映像の資料として
なんと嬉しい事態か、VHSですり切れるまで見続けたノイバウテンの映像が2007年4月27日にDVDになって再発していた。しかも日本語字幕付き(プレスリリース)。
調子に乗って他のDVDやCDを大量購入、4万円を超えたので少し反省しつつも代表的なものをリストアップ。
まず、写真左上から
ジューイッシュ・カルチャー(ユダヤ音楽)にスポットを当てたDVD「Sabbath In Paradise」、お気に入りのデヴィッド・クラカウアー氏も登場する、クラリネット愛好家ならずとも押さえておきたい、観ておきたい。
ノイバウテン「半分人間」サントラCD付きスペシャル版、ブリッと臭い、当たるも八卦などなど・・・主観が入りすぎる為ノーコメント(それほど好きと云う事)
ノイバウテン「リスン・ウィズ・ペイン」日本版、こちらも主観が入りすぎる為ノーコメント
ノイバウテン「リーベスリーダー」日本版、またまた主観が入りすぎる為ノーコメント
マッシブ・アタックのプロモ集(これは破格の中古で)
写真左下から
安田芙充央「シューマンズ・バー・ミュージック」From Winter Winter
タイトル同名のバーが舞台のようで、終始傍らに響く客のザワメキもソロピアノに彩りを与えている印象、こういった具体音に映えるソロも中々心地よい、チョイスされた楽曲は“ムーン・リバー”や“風と共に去りぬ”など完璧なまでに射程範囲から逸脱しているが、それが逆によいのかもしれない。日曜朝向けのBGMにはうってつけのみっけモノ的内容。
北欧のバンドtriptykの題名なし(?)アルバム、フィドラにニッケルハルパにサックスという三人が奏でる音は所謂トラッド、本来ならばサックスがアコーディオンと入れ替われは“正当”なんだと思うが、空間を手づかみする様なこの三人の演奏は瞠目に値します。
ガイ・クルセヴェクとアラン・バーンのデュオ二作目、アコーディオン二台が絡むとこうも厚みを増すものなのです。前作はアコのみでしたが、今作は意欲的にピアノやMIDI機器も導入しています、また全体的に抑揚のある曲が多く触れ幅も広がったのが印象的ではあります。十分な範囲で、且つ順当に二人の欲がぶつかっていく様は次回作にも繋がる期待をやおら抱かせる内容。
テリーライリー『The Harp of New ALBION』。「5」という数字にこだわったピアノ作品、常に5度圏で演奏されるミニマリックなピアノ。二枚組で有に100分を超えます。アルペジオが気持ちのいいトリップ感を演出しています。ちょっと値が張りますが書架ならぬCD架に収めて損なしの永久保存版。