2007/08/20

【第六幕:断章】ヘテロ・シメントリー

(異質なる対称を示すパート)

  繰り返される機械音、パーカッション単音
   ↓
  二人、半身タイツ、左右から登場、
   ↓
  ゆっくりを輪を描くように回りだす
   ↓
  機械音が徐々にずれていくのに伴い、動きも徐々にずれていく
   ↓
  倒れ、もつれ合う
   ↓
  交配と脱皮の行為に興じ、無に帰す

全ての動作が音もなく停止(万象が急停止する様)、次なる現象を仰ぐ。

2007/08/15


不自由な身体

石工の腕、指で弾くピアノ

2007/07/25

マダム・レインの子供
(吉岡実「サフラン摘み」より)

2007/07/19

【第五幕:断章】レイン・サークル

六人の演者は順に散り、四方八方に置かれた金属パイプを叩きだす。

   一人は四分で抑揚無く
   一人は八分で抑揚をもって
   一人は十六分で抑揚無く
   一人は三分で抑揚をもって
   一人はアクセントで抑揚無く
   一人はランダムで抑揚をもって

   一定時間後、ハーシュノイズがフェイドイン

演者1:
(傘を差し出す)
「雨が降るよ」

演者2:
(傘を受け取らず)
「私に顔はない、あるのは水晶のような、無色で透きとおる物質だ
 絶対的な他者とも違う、離脱した魂の俯瞰でもない」

演者3:
(傘を受け取らず)
「所有と使用のルールが狂い、経済主体性の神話が崩れはじめた
 私に顔はない、あるのはアメーバのような、分離と自滅を繰り替えず物質だ」

演者4:
(傘を受け取り)
「壁の落書きは墨で書け、インキじゃ駄目だ、インキは其処に止まらない
 墨ならば永遠に止まり、警鐘を鳴らし続けてくれる」

2007/07/16


天井につり下げられた鳥。小振りの円形ステージにウッドチップをしきつめ観葉植物を添える。
こういったシンプルだが上品な舞台美術や、中心の一点を軸に四散する影の付け方も参考になる。

某ライブより、音階(キー)の違うアイリッシュ・ホイッスルをダブルで吹くおやっさん。二本だけども結構重層的になるものです。

2007/07/13


画数の多いものは小さく
画数の少ないものは大さく

 演者それぞれが黒板に記していく

視覚的な大小
構成要素の大小

 そのバランスがトータルで同じ
 “大きさ”である事を暗示する

【映像】
一定のリズム、機械音がメトロノームのように響く、 定点のカメラに映り込む人(群衆でない)の歩幅と一定のリズムが重なり、橋と端/墨と隅/後悔と航海などの同音異義語が繰り返される

2007/07/04

罵ることで立ち位置を確かめ合う人々
エトランゼに向けられた辛辣なる視線
闇に映る光景
数多繰り返される奇行
私は影に隠れて見守ることにしよう

2007/07/03

【白痴】鮎川信夫

ひとびとが足をとめている空地には
瓦礫のうえに木材が組立てられ
槌の音がこだまし
新しい建物がたちかけています
やがてキャバレー何とか
洋品店何々になるのでしょう
私はぼんやりと空を眺めます
ビルの四階には午後三時から灯りがともり
踊っている男女の影がアスファルトに落ちてきます

私は裏街を好みます
そこにはジャズがほそぼそとながれ
むかし酒場で知りあった女が
あまり関心しない生活をしています
無意味な時代がしずかに腐敗しています
ある冬の晴れた日に
私はゆっくりタバコをふかしながら
そこを通ってゆきました
私の立派な人生には
いつもそんな汚い路地があって
破れた天井の青空が
いつもいくらか明るいようです

日が暮れかかると
劇場は真黒な人を吐き出します
ふるえる電線の街の
灰いろの建物のしたを孤独な靴音が
もみあうおびただしい影をぬってゆきます
その孤独のこだまのなかには淋しさの本質がちょっぴりあります
十字路には警官が立っていて
これがほんとうの東京の街路ですが
この街のどこもかしこも
光りの痕跡が小さくなってゆくようです
つかれているのは私ばかりではありません
指輪や装身具の飾ってあるジョーウィンドウをのぞいて
うつくしく欠伸(あくび)をしている女がいます
その横顔をぬすみ見ている紳士がいます

春のころ代議士候補が
サラリーマンや労働者を相手に
よく政府の悪口を言っていた広場には
サーカスの看板がこがらしに吹かれています
街路樹の枯枝に
小鳥がとまっていることも見のがせません
サーカスのむすめの写真をながめながら
私は軽い舌うちをしました
もちろん誰にも聞えるきづかいはありません
どうやら私は今年も結婚しそこねたようです

これから私は何をしたらよいのでしょうか?
ひとびとのうしろに行列をして夕刊を買い
今日の出来事を
昨日のように読みすてましょうか?
そしてニュースが私を読みすてたら
喫茶店でコーヒーをのみ
それからあとの計画は
一杯のコーヒーをまえにして考えようと思うのです
一人の若いウェイトレスが
たまたま可愛い瞳をしていたからといって
少しばかり恥をかくようなことがなければよいのです

出典:鮎川信夫全詩集1946-1978/思潮社 (P51 白痴より) 

2007/06/30

なんとなく借りて観た映画「Mountain Patrol:kekexili(邦題:ココシリ)」終半の一場面。
四方3メートル程の無骨な空間に横たわる男、そこに寄り添う娘。無言の語りを投げかける娘。
しばらくして、死せる男は赤装束の3人に抱えられ、見えざる苦悩を剥ぎ落とすかのごとく拭われる。
娘の姿はすでにない。

  ⇒  

2007/06/25

6月中旬からまた一気に仕事量が増し意識は常に“そちら側”に持っていかれてしまう。両立は誠に持って難しいと感じる毎日である。

1910年、シーレ二十歳、新芸術集団に於ける展示の成功により、パトロンも見つかり転換期を迎えた頃の作品「Mother and Child」。

Egon Schiele (1890-1918)
 Mother and Child, 1910
 Watercolor, gouache, and pencil on paper
 Private collection, New York

この写しの前に腰を据え、対の姿勢のまま“脊髄”に意識を集中させ沈下させる。そのまましばし妄想または夢想に近い状態に浸らんと画策してみる。

原画はNYメトロポリタン美術館の側にある小美術館、オーストリアやドイツ表現主義、バウハウス関連のコレクションで有名なノイエギャラリー所蔵。
NEUE GALERIE / map

2007/06/20

神田の古本屋で以下の7冊を買う。資料になるものもあれば、何となく“また”買ってしまったものも・・・。

「家畜人ヤプー」 沼正三 著
「詩と権力のあいだ」 宇野邦一 著
「ドグラ・マグラ1」 夢野久作 著
「ドグラ・マグラ2」 夢野久作 著
「猫と庄造と二人のおんな」 谷崎潤一郎 著
「鈴木忠志演劇論集 内角の和1」 鈴木忠志 著
「鈴木忠志演劇論集 内角の和2」 鈴木忠志 著
ほか

ヤプーは文庫本で半分程まで読み、ドグラ・マグラは夢野久作全集で読んでいたものの、また買ってしまう・・・。

2007/06/17


ラリック美術館へ向かう。
1920〜30年代に“ブルジョワジーの夢”と謳われた世界の一端が広がる。

ラリック美術館

2007/06/07


導き寄る術を求め、神田古書店街を徘徊。数冊の本を手に地下鉄へ戻る。

2007/06/06

プロジェクタ、あるいは一点から照射される光で陰影を流し時間軸から表象までを表す方法。逆に目つぶし(観客正面からの照明)で陰を延ばす方法はどうか。客席からの視点では俳優が消え、足下の陰だけが残るのではないか。

四方意外に仕切りのない空間に実質的物質を抄出させることで「記憶」の片鱗を各々視点で想起させることができるのでは?

具体的な絵はこれらの記録の底から想着し、膨らましてみようと思う。

2007/06/05

戯曲は[Mac OS X版 iText Express 2.5]を使って書き進めている。以前は[Mac版 LightWayText 4.1.6]を使用していたのだが、ユニバーサルバイナリ化されていない為の選択である。

そんな折、MacBookが不調を訴えてきた為、二度目のアップルセンター行きとなった。

購入から一年で既にメモ帳と化している漆黒ボディの弱気な青年だが、今一度元気な姿を見せて貰いたいものである。

帰還するまでは埃にまみれたPowerBookG4で作業することになりそうだ。

2007/06/04


神宮前の事務所にて。

いつもは注文後10分強で届くスピード感がたまらない紫金飯店 青山店で出前をお願いしているのだが、今日の別の寿司屋で出前をとることにした。

2007/06/03

あんぱんまんに対する憧れのまなざしを捨てきれないまま残してみるメモ。

作家自身が経験した事を原材料にその理性化、整合化に向かう演劇形式の飽和性に対する疑念 / 演劇は絶えず個人の思惑を打ち破って、個では決してたどり着くことの出来ない領域に集団の力で我々を導びき、運び込んでくれるのではないか / 観客は劇場の中では必ずと行っていいほど作品の「意味」を求めてしまう。また、そのことからおいそれと自由になれない習性を身につけてしまっている / 極小化された情報量の中に最大限の行為を表現する。つまり圧縮、一つ一つの濃度を高める / 二つの空間、二つの「あいだ」に立ち、その境界線上で眺め続ける / 外国文化への一方的な礼賛と作家への崇拝という態度を排し、徹底してマテリアルとして「使う」ことである / 「言葉」vs「肉体」という二元論から、逆に何ものにも還元されない状態を見据える / テクストの読み方には「知」の特権化があり「正解」を求める、ではその「正解」は何処にあるか。また、権化を認識した観客の向かう先は何処か。

横浜アンパンマンこどもミュージアム

2007/06/02

書架を掘り起こし、3年程前、新刊で読んだリチャード・モラン著の書籍に僅かなヒントを見いだす・・・しかし史実に合わない・・・。

【結論から初まる】
暗転/開幕
 ↓
暗闇(30秒)
 ※スモークが揺蕩(たゆた)う
 ※足下のみに照明が薄明かるく灯っている
 ↓
反戦歌「リリー・マルレーン」が遠くのラジオからで流れている
 候補:German
 ・Willy Fritsch 678KB ~1939
 ・Heyn Quartett 352KB
 ・6.Panzergrenadierdivision 272KB
 ・Lale Andersen 732KB 1939
 ・Lale Andersen 680KB
 ・Lale Andersen 242KB tri-lingual
 ・Marlene Dietrich 694KB
 ・Mimi Thoma 791KB Grammophon
 ↓
電気椅子に座る男(スポット、瞬間的に)(3分)
 1.アウシュヴィッツではチクロンBは使用さていない
 2.極力写実的描写は避ける
 3.エジソン/ウェスティングハウスから
  米国的イメージなってしまわないか?=再考
 4.いや、そもそも電気椅子は史実的におかしい・・・・駄目か。
 ↓
回想的台詞(録音)(3分)
 ↓
一定のリズムを持った機械音のフェードイン(2分)
 ↓
演奏スタート
 

2007/06/01

易々と書物に揉まれているが故に、
思惑をを見失っている御身を自覚しなければならない。

そこに潜む大いなる溝は自覚しきれるものでは無いし、ましてや歓談が閑談に変わる前にこそ気付く事(築く事)があるはずではないか。

得てして世論が全てであり、疑う意義すら剥ぎ取られ、崇高なる“証言”にコジツけを見いだし、納得せる証材を探る。

所詮、迎合(げいごう)と捉えれば易いが、結論は見えず終いのまま思考の渦に巻き込まれ、飲み込まれる事でしか図れないものが有るかもしれない。

2007/05/31

道端に弛(たゆ)まる一輪の華。

その昇華しきった姿を背に
一歩一歩進みたる御身を憶(おも)い、重ねてみれば、
時は死滅し忘却の裡に舞い込むに至る。

矢継ぎ早に過ぎ去る記憶を留める術は、
果敢なき導(しるべ)の意図に舞い込む僅(わず)かな意思と、
滅却に染むる自虐への邂逅に他成らない。

鏡は歪狭な変形をなして、
反復を持って御身に降り掛かる。

然(しか)るに、現実は偽りの器でしか無い。

2007/05/30

初演に向けてのメモはこのノートに認(したた)めている。
小説から、雑誌から、カタログから・・・・あらゆるカットアップをここに収め記録し続ける。

2007/05/29


髪から頭皮、そして脳へと接触する得体も知れぬ物体。

昨今混同されるは「革命」と「改革」の語彙であるが、袂を分かつ決定的な故は『破壊と再構築』の解釈に他成らない。
烏滸がましくも触感出来ぬ己を現段日本社会と対比させ、尚かつ併置して準(なぞら)えた時、捉え得ぬ思惑の無限ループに陥(おちい)るのではないか。

これについては、再考と巡り合わせを求める次第である。

2007/05/28


終電後、先日と同じ居酒屋にて。

【抵抗】
ヴェーユ、ルクセンブルグ、他、「労働」を介して社会体制並びに経済論理を見つめ、捉え直してみれば所謂「抵抗」に過ぎなかった事実が否応無く浮かび上がる。

  僅(わず)かながらの希望、
  それに斯(か)かる代償。

死を持って証明したのは、結局挙げつらう事で生命維持を測る不特定多数の無機能な身体(所謂マジョリティ)の行方でしかなったのではないか。
決起しきれぬ裡(うち)に断絶された無念の果ては、現段に於いて“僅かながらの抵抗”でしかなかった事実を晒すに留まってしまうのではないか。

結果として

  マジョは無条件に右に傾むく

そういった事実に相違無く呼応してまうべきなのか。
そこに思考の導(しるべ)や視座は介入の余地がないのではないか。
また、これが無条件の裡の“条件”であり、無思考の絶対的証明の一つに当てはまるのではないか。

その傾きに嫌悪感を甚(いだ)くか、巻かれるか。

残された身体の肝は何処に据(す)えるべきか、また据えたる思考の域から脱せらるるか。

  革命意思に染むる手は、血に染まり、やがて忘却に沈む。

2007/05/27


深夜自宅にて

亡霊の侵攻→失脚
異形のモノは言葉をもがれ、叱咤、罵倒される。
現世の物質では拘束できない為、念により処置を施される(両腕を肩にまわす)。

【対極と同軸】
分割された空間にあるがイン・アウトは常に対極で映し出され、且つ同軸のものとして扱われる、また常に腋臭を残していく。つまりIN=OUTという絶対的関係を時間軸で捉え直し表象する。
(※対極する空間の出入口、内側と外側を映し出す二台のカメラを用意し、それぞれ対極する部屋に映し出す。映像とのクロス)

2007/05/26

音、そして映像の資料として

なんと嬉しい事態か、VHSですり切れるまで見続けたノイバウテンの映像が2007年4月27日にDVDになって再発していた。しかも日本語字幕付き(プレスリリース)。

調子に乗って他のDVDやCDを大量購入、4万円を超えたので少し反省しつつも代表的なものをリストアップ。

まず、写真左上から

ジューイッシュ・カルチャー(ユダヤ音楽)にスポットを当てたDVD「Sabbath In Paradise」、お気に入りのデヴィッド・クラカウアー氏も登場する、クラリネット愛好家ならずとも押さえておきたい、観ておきたい。

ノイバウテン「半分人間」サントラCD付きスペシャル版、ブリッと臭い、当たるも八卦などなど・・・主観が入りすぎる為ノーコメント(それほど好きと云う事)

ノイバウテン「リスン・ウィズ・ペイン」日本版、こちらも主観が入りすぎる為ノーコメント

ノイバウテン「リーベスリーダー」日本版、またまた主観が入りすぎる為ノーコメント

マッシブ・アタックのプロモ集(これは破格の中古で)


写真左下から


安田芙充央「シューマンズ・バー・ミュージック」From Winter Winter
タイトル同名のバーが舞台のようで、終始傍らに響く客のザワメキもソロピアノに彩りを与えている印象、こういった具体音に映えるソロも中々心地よい、チョイスされた楽曲は“ムーン・リバー”や“風と共に去りぬ”など完璧なまでに射程範囲から逸脱しているが、それが逆によいのかもしれない。日曜朝向けのBGMにはうってつけのみっけモノ的内容。

北欧のバンドtriptykの題名なし(?)アルバム、フィドラにニッケルハルパにサックスという三人が奏でる音は所謂トラッド、本来ならばサックスがアコーディオンと入れ替われは“正当”なんだと思うが、空間を手づかみする様なこの三人の演奏は瞠目に値します。

ガイ・クルセヴェクとアラン・バーンのデュオ二作目、アコーディオン二台が絡むとこうも厚みを増すものなのです。前作はアコのみでしたが、今作は意欲的にピアノやMIDI機器も導入しています、また全体的に抑揚のある曲が多く触れ幅も広がったのが印象的ではあります。十分な範囲で、且つ順当に二人の欲がぶつかっていく様は次回作にも繋がる期待をやおら抱かせる内容。

テリーライリー『The Harp of New ALBION』。「5」という数字にこだわったピアノ作品、常に5度圏で演奏されるミニマリックなピアノ。二枚組で有に100分を超えます。アルペジオが気持ちのいいトリップ感を演出しています。ちょっと値が張りますが書架ならぬCD架に収めて損なしの永久保存版。

2007/05/25


独り居酒屋で構想を膨らます。
すでに深夜3時をとうに超えてしまったようだ。


【廃人に】
それは限りなく人形に近づいていく
死せる俳優
演ずる事の無効性
演劇と云う俗性
俗性→しかし、たかが、

【冒頭の“声”の反復】
劇中に何度か挿入する
その都度演劇のトーンが変化する
主題はこれを切っ掛けに弾け飛ぶ

【己との離別、肉体からの遊離】
声が個々の人格を離れていく
※己の声が時間経過と共に、外部から照射されるようにする
録音するか、マイクで増幅させるか

2007/05/24


千駄ヶ谷駅、終電に滑り込む

【停止】

「“あの人”だから観たい」
「名のある劇団“だから”観たい」

因習的な観客の態度、保守的な姿勢、
そこに至る虚偽、または故意

観る事に対するあらゆる価値観、判断

演ずることから、あらゆる価値観の

停止・・・・・・・・。
停止・・・・・・・・。
停止・・・・・・・・。
停止・・・・・・・・。
停止・・・・・・・・。

2007/05/23


有楽町は貿易センタービル38階からの眺め。

眼下に広がる世界は、

ジオラマの様な現実味とは程遠い

明け透けな空間。

新幹線には乾電池

並木道にはセルロイド

プラスチックのサラリーマン

アクリル仕様の窓ガラス

屋上の中心点を右回りに結んでいくと皇居に刺さるのだろう。

今日も若葉が疼(うず)き出し、よしんば交歓を求め出す。

まるでアコヤとシジミのロングパレード。

2007/05/22


著者(排泄者)
 ↓
出版(思惑、金銭、有用、貢献、義務)
 ↓
書架(集合知、公的ライブラリ)
 ↓
書物(言葉のまとまり、説得材料、個知開示、主義主張)
 ↓
紙(言葉の断片、カットアップ素材)
 ↓
チャタテムシ(無干渉生物、無意識的発生)
 ↓
シミ(劣化、死産) ↓
 ↓
湿気・廃坑(懐古、和)
 ↓
金属(硬直化、鉱物、錆び)・・・・・

-------------
通奏低音

横から表るアジテーター

アシンメトリーの他者
-------------

2007/03/05

「ベンヤミンと奈落の靴」
ふと出てきた響き。なかなか良いではないか。

2007/03/02

自分を曝(さら)ける相手。それに一憂汲める人(イチユウクメルヒト)。
サディスティックな要求。マゾヒステュックなまでの許容。
己の中に眠る、曝け出すことの無い虚栄、そこに或る祭り。
苦悶の中の極細の隙間、これぞ至福。
求めれば遠くなる。目を伏せれば近くなる。
氷室に眠る劣性、そこから居出る感触。

今日ここに決めよう。
私の妻と成る人よ。