暗中模索する新到の自己対話、あるいはモノローグの断片、所謂、初演に向けてのメモ
易々と書物に揉まれているが故に、思惑をを見失っている御身を自覚しなければならない。そこに潜む大いなる溝は自覚しきれるものでは無いし、ましてや歓談が閑談に変わる前にこそ気付く事(築く事)があるはずではないか。得てして世論が全てであり、疑う意義すら剥ぎ取られ、崇高なる“証言”にコジツけを見いだし、納得せる証材を探る。所詮、迎合(げいごう)と捉えれば易いが、結論は見えず終いのまま思考の渦に巻き込まれ、飲み込まれる事でしか図れないものが有るかもしれない。